複雑化する認知症の診断
戦後,高血圧の治療が充実することで,日本人の国民病であった「脳出血」の患者数は激減しました.それにつれて,脳卒中が原因となる『血管性認知症』も減少に転じました.その一方で高齢化が進み,アルツハイマー病の患者さんが激増していきました.結果,「かつて日本に多かった血管性認知症は大きく減少し,今や,認知症の殆どはアルツハイマー病だ」と言われるようになりました.しかし,最近になり,「純粋なアルツハイマー病は意外に少ないのではないか.もっと多くの病気や病態も考えるべきではないか」という考え方がでてきました.現実の世界の認知症はもっと多様性に富んでいるというのです.
かつて私が師事した Hachinski教授が提唱された『ダイナミック多角形説』もその一つです(Fotuhi M, Hachinski V et al. Nature Reviews Neurology 2009). 『後期高齢者の場合,たった一つの病気が認知症を起こすことはむしろ稀で,実際には 若いころから少しずつ脳に蓄積した様々なダメージが認知症を起こしているのではないか』という考えです.「種々の原因」を「多角形」と表現されたのは,言語にお詳しい教授らしい レトリックですね.
この考えを裏付けるように,興味深い発見が認知症の世界でなされました.アルツハイマー病に似ているけれども,これとは明らかに異なる認知症が続々と見つかってきたのです:
まず,『レビー小体型認知症』.
これは日本の小阪先生が発見された病気です.当初,欧米の医師らは否定的でしたが,今では『2番目に多い認知症』と言われています.実は「パーキンソン病」とほぼ同じ病気なのですが,ずっと見過ごされていたのです.
次に,80歳以上の高齢者の中から,アルツハイマー病よりも物忘れがゆっくりと進む認知症の一群が『嗜銀顆粒性認知症』や『神経原線維型認知症』と呼ばれるようになりました.最近,『TDP-43脳症』と呼ばれる認知症が「発見」され,後期高齢者ではアルツハイマー病よりも多いのではないかとおっしゃる先生もおられます.
これに伴い,従来,アルツハイマー病と考えられていた方々が,後から他の病気だと診断されるようになりました.大学病院などの物忘れ外来で「あなたは アルツハイマー病です」と診断された 1,300人以上の患者さんを徹底的に追跡し,患者さんが亡くなった後,顕微鏡で脳を詳しく調べた研究があります(Brain 2019: 142; 1503-1527).これによりますと,亡くなる前の診断の通り,「アルツハイマー病」と確認された方は,わずか4割だったそうです! なんと,1/4の方は脳梗塞による認知症(血管性認知症),17%がTDP-43脳症,そして10%がレビー小体型認知症だったそうです.この論文を読んだ時には強いショックを受けました.
事態をさらに複雑にする発見が続きます:アルツハイマー病の人は「レビー小体型認知症」や「TDP-43脳症」にもなりやすいことがわかってきたのです.アルツハイマー病の患者さんの約1/3はレビー小体型認知症を合併し,逆に,レビー小体型認知症の患者さんの半分以上がアルツハイマー病を合併していることは,今日,多くの専門家が認めるところです.それだけでなく,アルツハイマー病の患者さんの1/3~半数の方が TDP-43脳症を合併していることが分かってきました(Journal of Alzheimer's Disease 2019: 69; 953-961).そして,一人の患者さんが 3つの認知症を同時に患っていても何ら不思議ではないというのです.
ヒトの脳に複数の認知症が同居すると どうなるのでしょうか? 実を言いますと, “アルツハイマー病が8割で,残りの2割はレビー小体型認知症の症状”,ということが実際に起きています.主となる認知症の症状に,他の認知症の症状が「トッピング」され,その人独特の「オーダーメイド」された症状が出るというわけです.
今までのように「個々の病気を診る」というスタンスから,複数の病気や病態を併せ持つ「その人」をありのまま捉え,その人に合った生き方や治療を共に考えることが これからの認知症診療に求められるのかもしれません.
